20040403句(前日までの二句を含む)

April 0342004

 春あけぼの川舟に隕石が墜ちる

                           金子兜太

語は「春あけぼの」で「春暁(しゅんぎょう)」に分類。また、むろんご存知とは思いますが、いちおう「隕石(いんせき)」の定義を復習しておきましょう。「■隕石(meteorite)。地球外から地球に飛び込んできた固体惑星物質の総称。その大部分は、火星と木星の間に位置する小惑星帯から由来したものであり、45.5億年前の原始太陽系の中で形成された小天体の破片である。しかしその一部には、彗星(すいせい)の残骸(ざんがい)と考えられるもの、あるいは火星、月の表面物質が、なんらかの衝撃によって飛散したと思われるものも混在する・(C)小学館」。句は、東の空がほのぼのとしらみかける時分の川の情景だ。舫ってある「川舟」が、夜の闇の底から徐々に輪郭をあらわしはじめている。薄もやのかかった川辺に、人影や動くものは見られない。さながら一幅の日本画にでもなりそうな春暁の刻の静かな川景色だ。そしてもしも作者が日本画の描き手であれば、絵はここで止めておくだろう。せっかくの静寂な光景に、あたら波風を立てるようなことはしたくないだろう。つまり、「すべて世は事もなし」と満足するのである。もちろん、そのような抒情性も悪くはない。が、現代人の感覚からすると、何か物たらない恨みは残る。古くさいのだ。そこで作者は、はるかな宇宙空間から「隕石」をいくつか「墜」としてみた。と、パッと情景は新しいそれに切り替わった。といって、この隕石の落下が古い抒情性を少しも壊していないところに注目しよう。壊しているどころか、それを補強しリフレッシュし、厚みさえ加えている。気の遠くなるような時間をかけて暗黒空間を経由してきた隕石が、いま地球の川舟とともに春暁のなかに姿をあらわした。その新鮮で大きく張った抒情性こそは、すぐれて現代的と言うべきである。『東国抄』(2001)所収。(清水哲男)




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